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神戸地方裁判所 昭和34年(わ)323号 判決

被告人 山口吉雄こと中村正幸

昭一三・一・一四生 味噌醤油製造販売業

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数中一八〇日を右本刑に算入する。

押収にかかる紙詰栓一個(検乙2号)、フェルト詰栓一個(同3号)、散弾々頭三三個(同5・6号)、猟銃カバー二枚(同7号)、猟銃一丁(同10号)はこれを没収する。

訴訟費用中証人伊藤実喜祐、同野田義弘、同今井孝市、同吉田正勝、同田淵八十二、同天川泰一、同酒井重一郎、同柴田賢一、同堀直彦に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和三一年三月久留米商業高等学校卒業後、母中村マスヨと共に家業の味噌醤油製造販売業に従事していたが、それよりさき、昭和二八年に被告人の父が死亡し、それに加えて、その頃から同業者が漸次増加して競争が激化し、ために家業は徐々に下向きとなつていた状況に不安と焦燥とを感じておつたが、これに対処する母のやり方が旧態依然としているとして不満を持ち、かつ、時により述べる自己の意見は容易に母の容れるところとならず、このことと被告人の分裂性性格とが相まつて、家庭に対する絶望感を抱くに至り、遂には家出して自殺をしようかと考えるようになつた。そして昭和三四年三月五日被告人は自殺の目的で家を出、同月七日午前六時頃神戸市に着き、夕刻まで市内で過し、午後七時頃いよいよ自殺をとげるために、所持していた猟銃一丁と散弾一五発とをたづさえて、神戸市生田区加納町三丁目二番地喫茶店清正堂を出て、北方山地に向つたが、途中猟銃で自ら生命を絶つことに恐怖をおぼえ、ためらつているうちに、次第にどうせ死ぬつもりでいるのであるから、何か大きなことをしてやれといつた、自暴自棄な気持に変つてゆき、それが、道すがらたまたま目にふれて記憶していた生田警察署北野巡査派出所に暴れ込む、本件犯行に具体化したものである。

(罪となるべき事実)

被告人は前述のような心理状態から、山へ行く途中に通り過ぎた神戸市生田区北野町四丁目五六番地所在の生田警察署北野巡査派出所の警察官から平素興味を有する拳銃を強取しよう、場合によつて警察官に射殺されることがあつてもどうせ死ぬつもりになつたのであるからもともとと考えるに至り、昭和三四年三月七日午後七時三〇分頃、右巡査派出所において、勤務中の伊藤実喜祐巡査の胸もとに猟銃(検乙第一〇号)を突きつけ「拳銃を出せ」「手をあげろ」と数回申し向けて脅迫し同巡査が両手をあげ、「すわつて話をしよう、拳銃は渡すわけにいかない」と言いながら、机の周囲を廻つて逃げようとするのを、猟銃を擬したまま拳銃をとりに近かよろうとして同巡査を追い廻わしていたところ、目撃者の急報により、間もなくパトロールカーが到着し、そのサイレンの音や急ブレーキの音に一瞬気をとられている隙に、伊藤巡査が派出所の入口のガラス戸を開けて屋外に逃れ出ようとしたので、その背後から猟銃を発射したところを、パトロールカーの警察官及び伊藤巡査に逮捕されたため、拳銃強取の目的を遂げなかつたが、右射撃によつて、伊藤巡査の右側頭部、右耳介部及び右頬部に、全治数日を要する擦過傷を負わせたものである。

なお、当時、被告人は心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠略)

そして拳銃強取の故意については、被告人は当公廷において終始否定し、「本件行為は、猟銃で自殺をすることがこわくなつたので、警察官に猟銃を突きつけ『拳銃を出せ』と言えば、警官はその所持する拳銃で自分を射殺するであろうから、それによつて自殺の目的を遂げようとしたものである」と主張し、また、猟銃の発射は暴発である等述べているので、以下これらの点について当裁判所の判断を示す。

(1)  拳銃強取の故意について

まず、故意のような主観的要素の判断においては、最も直接的な証拠は被告人の供述であるが、その供述に変化がある場合、その供述の経過と供述のなされたときの情況等から、その信用性を判断し、かつ、行為として外形的に現われた事実を総合して故意の有無を決定するを要する。この点に関する被告人の供述は、拳銃強取の故意を認めたものと、その故意と自殺の意思との併存を認めたものと、拳銃強取の故意を否認して当公廷における供述と同趣旨の弁解をしているものとの三様に変転している。

昭和三四年三月七日附の吉田正勝警部に対する弁解録取書(検甲37号、以下吉田弁録と略称する)には、被告人が、山口吉雄と偽名のうえ

「ただ拳銃がほしかつたので、巡査を脅してとつてやろうと考えてやつた」

と申し述べ、同月八日附多田警部補に対する供述調書(同30号)では

「途中この銃で死のうと何回も考えたが、自分で死ぬることが恐ろしくなつたので、いつそう交番所に入つて、拳銃を取つてやろう、そうすると、巡査は自分に反抗して来て拳銃をぶつ放すであろうと思つて、その交番所を捜していたところ、幸い、その日の昼頃山手住宅に近い交番所があつたことに気付いたので、その交番所を狙つた」

と申し述べ、同月九日附今井孝市巡査部長に対する供述調書(同31号)では

「私は、今月五日に家を飛び出し、そのはては、警察官の拳銃を奪つてやろうとして、家を出る時持つて出た猟銃を持つて交番に行き、巡査に猟銃を突きつけ、拳銃を奪おうとした」

と申し述べ、同月九日附木花俊行検事に対する弁解録取書(同38号、以下木花弁録と略称する)では

「拳銃を取る目的で巡査に拳銃を出せと言つて脅したことは間違いないが、殺すつもりはなかつた」

と申し述べ、同月一一日附多田警部補に対する供述調書(同33号)では

「三宮と山との中間辺に来た頃、自殺が恐ろしくなり、自分の力で死ぬることにふみ切れず、いろいろ迷つたすえ、山から下つて来るとき、箱(巡査派出所のこと)が目についたので、自分の力で死ぬることができないから、この箱の巡査の大事な拳銃をとれば、巡査は恐らく私に反抗して拳銃をぶつ放なすだろう、そうすれば、その巡査の弾に当つて自分は死ぬことができると考えた」

と申し述べ、同月一六日附今井巡査部長に対する供述調書(同34号、故意に関する最も詳細な調書である、以下今井調書と略称する)には

「巡査の拳銃に撃たれて死ぬるつもりでその交番所を襲つたのであるが、その時、私は、巡査の持つている拳銃を奪うことができたらそれを奪つてやつてもよいという気持もあつた。この気持は四分六くらいであつた。拳銃に撃たれて死んでもよいという気持が六分くらい、拳銃を奪つてやろうという気持が四分くらいであつた。拳銃を奪つてそれをどうするということまでは考えておらず、ただ私は、拳銃に興味を持つていた。私は、銃全般に興味を有し、拳銃に対する興味が一番強かつた。拳銃のような小さい物が人を殺す威力を持つているが、どのような構造になつているのか、その構造に特に興味があつたので、一年程前から、一度拳銃を持つてみたいという気がわいていた。私は、自殺する決心がにぶり、自殺するのがこわくなつて、自殺しようかどうしようか迷つて来た時、交番所を思い出し、同じ死ぬなら交番所を襲つて拳銃に撃たれて死んでやれ、もし撃たれずに拳銃を奪うことができたらそれもよい、一度拳銃を持つてみるのも悪いことぢやない、と思いついて、交番所を襲うことにしたのである。……巡査は、両手を腹のあたりに持つて来ており、拳銃に手をかける気配がなかつたので、私は、あてが外れたような気になり、これやつたら拳銃を奪つて行つてやれ、という気になり、拳銃をとりに近寄つたりしたが、巡査は、机のまわりを廻つて身体をそらし、拳銃をとられまいとした。……私は、最初、交番へ入つて行つた時は、拳銃に撃たれて死んでやろうという気持の方が強く働いていたが、巡査は私を撃つ気が見えずだんだん時がたつにつれて、拳銃を奪つてやろうという気持の方が強くなつて来た。このように終りの頃は拳銃を奪つてやろうという気持の方が強く働いていて、巡査を猟銃で脅したのである。」

と申し述べ、同月一七日附今井巡査部長に対する供述調書(同35号)では

「所持金も一五六円になり、いよいよ死んでやろうという決心をし、猟銃を持つて山へ上つて行く途中になつて、死ぬのがなんだか恐ろしくなり、自分自身で猟銃を撃つて自殺することができなくなり、これやつたら交番所を襲つて巡査の持つている拳銃を奪つてやれ、そしたら巡査が拳銃を撃つて来て死ねるかわからん、もし死ぬことができず、拳銃を奪うことができても、拳銃なんかまだ一度も手にしたことがないから、自分のものにして持つてみるのも悪くはないという気持になつて、交番所を襲う気になつたのである」

と申し述べている。検察庁では、田辺明検事に対する第二回供述調書(同28号)において、

「自殺するのが恐ろしくなつてから、その交番所のことを思い出し、交番所に行つて巡査に銃を突きつけて拳銃を出せといえば、巡査が拳銃を発射してその弾丸に当つて死ねると思つた。私は、拳銃に対してかねてから興味を持つていた。従つて、拳銃を一度手にしてみたいという気持は前からあつたが、巡査に立ち向つた時、そういう気持があつたかなかつたかということは、断言できない。(中略)死ぬることと、拳銃を奪うことが四分六であるという警察での表現は真実ではない、そんな気持もあつたが、拳銃を手に入れることはむつかしいことで、一つの可能性の問題として交番所でそのような莫然とした考えを持つていたに過ぎないので、これを数量で表わすことはできない。私としては自暴自棄的な気持ちになつていた」

と申し述べている。警察は、本件を強盗殺人未遂として立件した。被告人は、当初、拳銃奪取の意思であつたことを肯定し、のちに、自殺目的との混合であつたと述べ、検察庁においては、自殺目的と拳銃奪取目的との混在をあいまいな表現で肯定している。そして、殺意の点は、終始一貫して否定したので、検察官は、本件を強盗致傷として起訴したものと思われる。

被告人は、右の吉田弁録や今井調書の任意性について、当公廷において「吉田弁録は昂奮しているうえに、周囲にいた多数の警察官から質問を受ける状況で、自分の真意を表示できず、質問に対しては単にあいまいな肯定又は否定によつて答えたにすぎないのに、かかる記載となつたものである。また今井調書は、今井巡査部長の巧な誘導によつてできたものである」と主張する。しかし、証人吉田正勝、同今井孝市、同木花俊行の各供述記載と被告人の当公廷における供述殊に殺意については終始一貫して否認の調書になつている事実を総合考量すると、以上の各調書は、取調官の強制や不当な誘導によるものではなく、被告人の任意の供述を録取したものと認定することができる。すなわち、吉田弁録は、本件が交番を襲つた外形を有する事件だけに、警察側ではこれを重視し、すでに帰宅していた吉田警部は、連絡によりあらためて出署、報告を聞き現場を見分した後、生田警察署次長と共に約一時間半にわたつて被告人から事情を聴取し、当夜一一時頃右弁録の作成を了したのであつて、午後一一時まで約一時間半にわたる取調は必ずしも不当なものではなく、かつ、弁録の内容は、捜査官の一方的なおしつけではなくて、被告人の陳べるところに従つて録取されたのであり、それから二日後に作成された木花弁録にも被告人の同様の陳述の記載があることが認められるのであつて、逮捕当夜の取調状況について、供述の任意性に疑をもたせる事実があるとは認められない。また、当時、被告人が昂奮状態にあつたことは想像するに難くないが、これも前記吉田証人の供述記載に徴して、任意性に影響する程度のものであつたとは認められない。次に、今井調書についても、被告人は、単に「誘導された」と抽象的に云うだけで誘導の具体的な事実を述べていないのみならず、右今井証人の証言及び被告人の当公廷における供述を綜合すると、「四分六くらい」という表現をするに至つた経緯が、被告人において、射殺されてもよいという気持と拳銃を奪つてもよいという気持との両様であつたと陳述したため、今井巡査部長が、そのどちらが勝つているのかと尋ねたのに対して被告人がこのような表現を用いたものであることが明らかであつて、不当な誘導とはいえないのみならず「四分六」の表示自体は故意の表現としてあるいは妥当でなかつたかもしれないが、当時の被告人の心理状態を知る資料になり得ると思われる。

次に行為として外形的に現われた事実について検討を加えてみることにする。前掲伊藤証人の供述記載によると、被告人が交番に入つてからの行為は、拳銃強取を目的としたものにほかならないと述べている。伊藤証人の右印象は、警察官としての職業的意識や被害者としての恐怖心のために事実を過剰に認識し又は誤認するおそれがないでもないから、慎重に判断しなければならないが、右供述記載から、少くともその場の雰囲気は極めて緊迫したものであり、被告人が前記認定のように、伊藤巡査の胸もとにいきなり猟銃をつきつけ、ついで「拳銃を出せ」「手をあげろ」と数回繰返し、机を中において対峙し両手をあげている伊藤巡査に対し、猟銃を擬したまま拳銃をとりに近かよろうとして同巡査を追い廻わした行為から、被告人の伊藤巡査に対する攻撃は同巡査が拳銃を取るいとまを与えないほど急迫したものであつたことが認められる。かような事実は故意を認定する重要な徴憑というべきである。

被告人の当公廷における「本件行為は警察官の拳銃発射を誘発させ、これによつて死の目的を達成しようとしたのである」との趣旨の弁解は、前記外形的事実に徴し肯定することができない。

結局前記犯行に至る経緯、犯行の外形的事実に、今井巡査部長に対する供述調書(同31、34、35号)吉田弁録、木花弁録の各記載及び後段認定のように、被告人が犯行当時心神耗弱の状態にあり、衝動的行為に出るおそれがあつたこと、被告人が当時自暴自棄の心理状態にあつた事実とを総合すると、被告人は、拳銃強取の目的をもつて伊藤巡査に暴行脅迫を加えたものと認定しなければならない。要するに、被告人は、猟銃で自殺することができないことから、次第に自暴自棄となり、衝動的に何か大きなことをしてやれといつた気持にかられ、警察官から拳銃を奪うことを思いたつに至つたと認められるのである。

(2)  猟銃発射は暴発であるとの主張について

被告人は当公廷において「猟銃の発射はパトロールカーのサイレンや急ブレーキ音に気をとられていた時、伊藤巡査が突然ガラス戸を開けて飛び出たので無意識のうちに引金をひいてしまつた」と主張する。

この点については逮捕直後の吉田弁録では

「パトカーが来て派出所の巡査が外へ出ようとするので夢中で射つた」

と言い、多田警部補に対する三月八日附供述調書(同30号)では

「巡査を射つつもりではなく、こわかつたのとあわてたので、思わず引金を引いた」

と言い、木花弁録(同38号では)

「殺すつもりはなく、ただはずみでぶつ放しただけである」

と言い、今井巡査部長に対する三月一六日附供述調書(同34号)では

「パトロールカーがサイレンを嗚らし交番所の真前に停つたので、私は、びつくりし、その方に気を取られている隙に、交番所の巡査は、戸を開けて表に飛び出した。私は、その物音にびつくりして猟銃の引金を引いてしまつた。猟銃の発射音に、はじめて引金を引いたことが判つた。銃口はその時交番所の出入口に向つていたのを覚えている」

と言い、田辺検事に対する三月二七日附供述調書(同28号)では、

「サイレンの音がし、車の停る急ブレーキの音が聞え、巡査がガラス戸をあけて表に飛び出す音がした瞬間に猟銃を発射したように思う。私は、巡査の出た方に身体を廻わし(むしろ廻つたという気がする)、その方向に発砲した。巡査を殺すつもりではなく巡査の飛び出す動作などで、瞬間に指に力が入つて引金を引いた……ただ今引金を引いたと録取されたが、引金に指が当つたと訂正願う」

と言つている。そして、前記伊藤証人、天川証人、田淵証人の各供述記載及び当裁判所の検証調書の記載とを総合すると、伊藤巡査が飛び出る直前の同巡査と被告人の位置は、机をはさんで伊藤巡査が西側、被告人が東側であつて、伊藤巡査が北側にある戸口に向つて飛び出ると、それを追つてほぼ九〇度回転して発射していること、猟銃の散弾は伊藤巡査の背後から右耳をかすめて通つていること、パトロールカーでかけつけた天川、田淵両巡査が逮捕に向つたとき、被告人は猟銃を折り空薬莢を出す操作をしたことが認められる。かような事実と前の被告人の各供述調書の記載とを綜合すると、猟銃の発射は暴発ではなく、伊藤巡査に向けて発射したものと認めるのが相当である。

(3)  伊藤巡査の受けた傷は強盗致傷罪における傷害というに価しないという弁護人の主張について

伊藤巡査が受けた傷は、堀直彦作成の診断書(同16号)、第五回公判における証人堀直彦の証言、前記伊藤証人の供述記載を総合すると、伊藤巡査の負傷は、猟銃発射による右側頭、耳介、頬部創傷と被告人を逮捕する際の左手背皮下出血とであつて、散弾による受傷は四、五日で、左手背皮下出血は一〇日くらいで治る程度のものであつたこと、その散弾による負傷は、粟粒大から米粒の半分くらいの大さの多数の創痕で、その各々に小量の血のかたまりが着いており、化膿のおそれがあるので、消毒して手当をしたことを認め得られる。そうすると、強盗致傷罪における傷害に該当することは多言を要しないから、弁護人の右主張は、採用できない。

(4)  心神耗弱の主張について

鑑定人仁科義純の鑑定書、同人の当公廷における供述、前掲中村マスヨの供述記載、証人野田義弘の尋問調書、野田義弘作成の診断書(弁甲1号)当公廷における被告人の供述を総合すると、被告人は精神遺伝素因の濃厚な家系の中にあり、現に被告人の弟は精神分裂病の破瓜病にかかつており、被告人もまた、本件犯行当時において、すでに精神分裂症(破瓜型)にかかつており、その精神障害は徐々に進行途上にあることが認められる。そうすると、被告人は本件犯行当時において、刑法第三九条第二項にいわゆる心神耗弱の状態にあつたものといわなければならない。弁護人の右主張は理由がある。

(法令の適用)

被告人の判示行為は、刑法第二四〇条前段に該当するから、有期懲役を選択し、犯行当時被告人は心神耗弱の状態にあつたものであるから、同法第三九条第二項、第六八条第三号により法律上の減軽をしたうえ、被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二一条により主文第二項のとおり未決勾留日数の一部を右本刑に通算し、主文第三項記載の物件は、本件犯行に供し又は供しようとしたもので、かつ被告人の所有に属するものであるから、同法第一九条第一項第二号第二項によりこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い主文第四項のとおり被告人に負担させることとする。

(裁判官 山崎薫 田原潔 正木宏)

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